今日の注目芸能人(平成21年5月2日)+歴史上の人物
::本日検索ランキングで上位にきそうな有名人+歴史上の人物::
★BONNIE PINK(ボニー・ピンク、本名:浅田 香織〔あさだ かおり〕 )
1973年4月16日生
シンガーソングライター・作詞家・作曲家。京都市上京区西陣出身。
所属マネージメント事務所はタイスケ。
所属レコード会社はワーナーミュージック・ジャパン(過去にはポニーキャニオンに所属)。
京都教育大学附属高等学校、大阪教育大学卒業。
身長は160~161cm。
★Salyu(サリュウまたはサリュ)、1980年10月13日生。
歌手・ボーカリスト。本名:森綾子(もり あやこ)。神奈川県横浜市港北区出身。
トイズファクトリー・烏龍舎所属。血液型O型。
カリタス女子短期大学言語文化学科コミュニケーション文化専攻卒業。
兄は元ラグビー日本代表の森大輔。
アーティストネームのSalyuはフランス語の「Salut」(乾杯の意、親しい間柄の挨拶の意)に由来している。命名は小林武史による。
★フランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro 1471年もしくは1478年 - 1541年6月26日)
スペイン人のコンキスタドール。
インカ帝国を征服し、滅ぼした人物とされている。
カスティーリャ王国エストレマドゥーラのトルヒージョの生まれで、
父はゴンサロ・ピサロ、母はフランシスカ・モラレス。
ピサロについてお勉強**
1498年から1502年にかけてイタリア戦争に参加した後、
1502年にニコラス・デ・オバンド総督の着任航海でエスパニョーラ島へ渡る。
1513年にバルボアのパナマ遠征に同行し、太平洋に到達。
その後、探検家ディエゴ・デ・アルマグロと共に、何度か南アメリカを探検し、
ペルーのインカ帝国の存在を知る。
1528年にスペインに戻り、
カルロス1世(後の神聖ローマ皇帝カール5世)からペルー支配の許可を取った。
募集した兵士とともに1530年、パナマに戻った。
1531年には約180人の手勢と37頭の馬を引き連れ、パナマを出港し、ペルーへの侵入を開始した。
サン・マテオ島で騎馬隊を下船させ、トゥンベスまで南下し、サン・ミゲル・デ・ビウラを建設した。
その後、インカ皇帝アタワルパを追って南進した。
1532年にカハマルカでアタワルパと会見し、その場で生け捕りにした。
アタワルパの身代金として、莫大な金銀を受け取ったが
政治的な理由から彼を殺害する判断を下さざるを得ず、
1533年7月26日処刑を敢行した。
その後も、インカ帝国の分裂を巧みに利用しながら進撃し、
11月にはインカ帝国の首都であるクスコに無血入城した。
1535年1月18日に新首都としてリマ市を建設した。
しかしその、支配地の分配、特にクスコの領有権をめぐってアルマグロと対立し始め、
1537年から内戦が始まった。
1538年にアルマグロを処刑したが、1541年6月26日にアルマグロの遺児一派にリマで暗殺された。
ペルー人は
インディオはもちろん、混血であるメスティーソの多くも自らのルーツを「インカ人」ととらえており、
「ピサロは先祖が築いたインカ文明を 破壊した人物」という認識をもっている。
このためリマ建都400周年を記念に
1935年にピサロの故郷のスペイン・エストレマドゥーラからリマ市に贈られ たピサロの騎馬像は、
最初の十数年は大聖堂の前に置かれていたが、
市民の反発で道一本隔てた大統領府前のアルマス広場の片隅に移された。
その後、1990 年代に再度反対運動が起こって、
1998年ごろには「国民感情にそぐわない」との理由で撤去された。
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